2017年05月26日

「昔はなし」その312 あとがき

あ と が き
             渡辺登喜雄

 長坂理一郎翁の「昔はなし」は、私が翁
のお宅へお邪魔しては、口述筆記をとった
ものです。ひまを見ては飛んでいって、速
記をし、社へ戻ると、あわてて、それを原
稿にするといったことで、せっかくのお話
をずいぶん、ぞんざいな原稿にしてしまっ
て申訳ないと思っています。
 校正をしながら、文章のまずいところが
目について、苦になりました。工場から
「今日の昔はなしはまだですか」と、請求
されると「いま、すぐ書く、十分待ってい
てくれ」なんて、あわてて書いた文章は、
自然ぞんざいなものになって、翁に申しわ
けなく思っています。
 だが、ニケ年の間、翁は外出の用事も後
まわしにしたり、来客も待たせたりして、
「昔はなし」の口述だけは、いつも快よく
時間の都合をつけて下さった。それだけで
も有難い厚意でした。
 話は世相百般にわたり、私は、私なり
に、その中から様々な教訓を得て、二カ年
の口述筆記は、たいへんな勉強になりまし
た。
 出版の話しが出て数力月、校正が出てか
ら、その校正に数力月もかかったのは、全
く私の怠惰で申しわけなく思っています。
三月に出るべき本が十一月になるなんて、
どうお詫びしてよいのか。
 それにしても、本のなかに、もし間違い
などあれば、それは、筆記したり、校正を
した私の失策であります。お許しを願って
おく次第です。
 昔、名古屋に伊勢門水という趣味ゆたか
な老翁があり、ひとしお、私は可愛がられ
て、数多くの話を聞くことができました。
豊橋には、長坂理一郎翁あって、私は、同
翁と最も多くの時間を語りあえた一人とな
りました。幸せを感じています。なお、本
書の刊行にあたり下重雄さんが、なみなみ
ならぬ努力を捧げて下さったことは、有難
いことでありました。
 長坂理一郎翁の万歳万寿を祈ってやみ
ません。

        昭和三十三年十一月


表紙・・・・・・・・・・熊 田 梅 石

 昭和三十三年十一月十二日印刷
 昭和三十三年十一月十五日発行
        豊橋市魚町八六
  発行所 豊橋新聞社
  著者  長 坂 理 一 郎
  発行人 下   重   雄
        豊橋市八町通四丁目
  印刷所 株式会社 水鳥印刷所
        定価 二百二十円



あとがきのあとがき

 311回に渡ってお届けした長坂理一郎さ
んの豊橋「昔はなし」も最終回を迎えまし
た。ご愛読ありがとうございました。
 豊橋と云う田舎町もかってはお江戸に負
けない文化と歴史を持っていたと云う事を
知っていただきたくて皆様にご紹介しました。
 また何か面白いお話を見つけたらご紹介
したいと思っております。
 このページは暫くこのままにしておきま
すので、お暇なときに読み返していただけ
たら幸いです。ありがとうございました。
                  
            河合則男

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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