2017年01月11日

「昔はなし」その177 豊川鉄道の開通式

豊川鉄道の開通式

 豊川鉄道ができるときの話です。中村道太の
弟が豊橋に居を移して呉服町裏の通称官員町
(官員世古)にいました。この人は平山甚太と
いい、これが発起人になり、社長格で指揮をと
っていました。実際に働いていたのは旧士族
の加治千万人(ちまと)、遊佐登、西川由次ら
で、この人々の奔走によって、計画は進みま
した。
 ところが、豊川鉄道の資本金は五万円ですか
ら今から思うと驚くべき少額の資本金です。
 最初はまず豊橋から豊川まで開通することに
なりました。開通式には中央からも高位高官、
実業界方面の代表などが集まり、盛大を極め
ましたが、そのときの式の御馳走がたいへんな
ものでした。
 開通式のお祝いの御馳走は例の安藤動物園
の安藤政次郎が工夫をこらすことになりまし
た。横浜にいるころ居留地の支那人からでも教
わったのでしょうか、サンドウイッチみたいなも
のと、子豚の蒸し焼をテーブルにならべました。
 子豚を丸さら蒸し焼にした料理には、まだ田
舎の豊橋では驚いたようです。子豚は花などで
飾ってありましたが、誰も気味悪がって手をつ
けませんのでした。せっかく安藤が苦心した料
理だからとお互いにすすめ合っているだけで
手を出す人がないのです。あとで安藤が「こん
なうまい料理はどうして喰わないんだろう」と自
分で切りながら一人喰べていたことがありまし
た。

1897年豊川鉄道
豊川鉄道

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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