2016年11月02日
「昔はなし」その112 浮世絵と川せり
浮世絵と川せり
今は浮世絵はたいへん貴重な美術品です
が、昔、私が浮世絵にこったころ広重の五十
三次の別に日本十四州というのが当時、一冊
二円か三円でした。そのころ私は旧士族の和
田稲城(元家老)の家へ行って一枚二円で二
百枚ほどを求めたことがあります。中に歌麿の
絵が一枚あって、当時でもすぐ三十円位になり
ました。また色彩を用いない師宣の墨絵版画
を十枚くらい手に入れましたが一枚二銭くらい
のがじき二、三円になりました。
私はまた「せり」にこったことがあります。「川
せり」はしゃれたもので「つゆ」にあしらってよく
「したし」にしてもよろしいものです。
「川せり」では何処の品が一番おいしいか…
というと当時の本に信州と甲斐の間を流れる
地蔵川の「川せり」が最高の美味だとありました。
いちど地蔵川の「川せり」に出会ってみたいと
思っていると、或る人から進物として贈られま
した。はじめはいつもの「川せり」とちがうので、
ひよっとしたら地蔵川のものではなかろうかと
思ってその人に礼を述べると、贈ってくれた人
もびっくりして「贈り甲斐があった」と喜んでくれ
ました。地蔵川の「川せり」はたしかに、香り、
味、形それぞれ群を抜いていると思いました。
「川せり」にこった私は、つぎに、里芋にこりま
した。里芋をあちこちから集めて、これならと思
ったのは尾張稲沢の井之口村のと、北設振草
村の東南に向ったところに出来たのが、この辺
では一等だと思いました。振草のは「とうのい
も」のような味がします。井之口村のは、まった
く純粋の里芋の味でした。
里芋にこりが昂じると、土のままで産地がわ
かるようになりました。
里芋のつぎにこったのが唐がらしでした。唐
がらしの種類もじつに沢山あって中には唐が
らしというだけでなかなか甘味をもったものさ
えあります。
あるとき唐がらしにこっている百姓の親爺に
会いました。この親爺には驚いた。この親爺の
研究は大したものでした。私に四、六種の唐
がらしを出して「これを味わってみろ」というの
です。親爺はがりがりやって「お前もやれ」と
いうのです。唐がらしにこったばかりに、これ
ほどつらい思いをしたことはありませんでし
た。「君そんなに品よく喰っちゃ駄目だよ」と親
爺は叱りました。西尾の笛屋吉蔵の七味唐が
らしは東西にくらべて最高だと思いました。客
の注文を聞いてから調合するのです。一時間
も二時間も待たせられますが味と香りは実に
すばらしいものでした。
唐がらしと言えば昔、七味唐がらしを売りに
きました。長さ三尺、まわりが一尺もあろうかと
思われる大きな唐がらしの模型を首にかけて
「七色唐がらし」と呼んできました。呼びとめら
れると、一軒、一軒、そこの庭さきで七色を調
合して、また外へ出ると「お目通り調合、七色
唐がらし……」と呼んで歩いていきました。「七
色とは黒ゴマ、カブ大根の葉、麻の実、青ノリ、
唐がらし、さんしよぅ、などで首 にかけた大きな
唐がらしの模型にはいった中から、七色をとり
だして調合していました。調合するとき
ピリリとからいはさんしょの味、花の
香りの青いのり
などと歌いながら調合するので子供ごころに
面白がったものです。

今は浮世絵はたいへん貴重な美術品です
が、昔、私が浮世絵にこったころ広重の五十
三次の別に日本十四州というのが当時、一冊
二円か三円でした。そのころ私は旧士族の和
田稲城(元家老)の家へ行って一枚二円で二
百枚ほどを求めたことがあります。中に歌麿の
絵が一枚あって、当時でもすぐ三十円位になり
ました。また色彩を用いない師宣の墨絵版画
を十枚くらい手に入れましたが一枚二銭くらい
のがじき二、三円になりました。
私はまた「せり」にこったことがあります。「川
せり」はしゃれたもので「つゆ」にあしらってよく
「したし」にしてもよろしいものです。
「川せり」では何処の品が一番おいしいか…
というと当時の本に信州と甲斐の間を流れる
地蔵川の「川せり」が最高の美味だとありました。
いちど地蔵川の「川せり」に出会ってみたいと
思っていると、或る人から進物として贈られま
した。はじめはいつもの「川せり」とちがうので、
ひよっとしたら地蔵川のものではなかろうかと
思ってその人に礼を述べると、贈ってくれた人
もびっくりして「贈り甲斐があった」と喜んでくれ
ました。地蔵川の「川せり」はたしかに、香り、
味、形それぞれ群を抜いていると思いました。
「川せり」にこった私は、つぎに、里芋にこりま
した。里芋をあちこちから集めて、これならと思
ったのは尾張稲沢の井之口村のと、北設振草
村の東南に向ったところに出来たのが、この辺
では一等だと思いました。振草のは「とうのい
も」のような味がします。井之口村のは、まった
く純粋の里芋の味でした。
里芋にこりが昂じると、土のままで産地がわ
かるようになりました。
里芋のつぎにこったのが唐がらしでした。唐
がらしの種類もじつに沢山あって中には唐が
らしというだけでなかなか甘味をもったものさ
えあります。
あるとき唐がらしにこっている百姓の親爺に
会いました。この親爺には驚いた。この親爺の
研究は大したものでした。私に四、六種の唐
がらしを出して「これを味わってみろ」というの
です。親爺はがりがりやって「お前もやれ」と
いうのです。唐がらしにこったばかりに、これ
ほどつらい思いをしたことはありませんでし
た。「君そんなに品よく喰っちゃ駄目だよ」と親
爺は叱りました。西尾の笛屋吉蔵の七味唐が
らしは東西にくらべて最高だと思いました。客
の注文を聞いてから調合するのです。一時間
も二時間も待たせられますが味と香りは実に
すばらしいものでした。
唐がらしと言えば昔、七味唐がらしを売りに
きました。長さ三尺、まわりが一尺もあろうかと
思われる大きな唐がらしの模型を首にかけて
「七色唐がらし」と呼んできました。呼びとめら
れると、一軒、一軒、そこの庭さきで七色を調
合して、また外へ出ると「お目通り調合、七色
唐がらし……」と呼んで歩いていきました。「七
色とは黒ゴマ、カブ大根の葉、麻の実、青ノリ、
唐がらし、さんしよぅ、などで首 にかけた大きな
唐がらしの模型にはいった中から、七色をとり
だして調合していました。調合するとき
ピリリとからいはさんしょの味、花の
香りの青いのり
などと歌いながら調合するので子供ごころに
面白がったものです。

Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし