2017年05月21日

「昔はなし」その307 皇太子の料理人の苦労

皇太子の料理人の苦労

 大正天皇が皇太子のころでした。高師原
のあたりでお泊りになったとき、私は料理
方を頼まれましたので、家の商売も休み、
高師原の百姓家を一軒借りて、そこへ家中
が移って御用をつとめました。
 何しろ、魚などは三谷から白い布に一匹
ずっ包んでくるというようなぐあいで、心
をくばることはたいへんなものでした。
 皇太子が高師へお泊りになったとき、宮
内省の役人が三十人くらいついてきました。
 この役人に一等、二等、三等と食事の区
別がついていて、しかもそれが向いあって
食事をするのです。
 つまり、一等と二等と三等は食事の皿数
がいろいろですぐ区別がつきます。しかも
役人らはそれで平等なんですね。
 私はその差別に困って、皿数は同じよう
にして例えば一等の卵焼は三切、二等のは
二切、というように工夫したんですが、そ
れでは区別がはつきりしないからいけない
と言われました。
 皇大子が高師へ泊られたとき、洋食だけ
は宮内省からきたコックさんがやりまし
た。私の命ぜられた日本料理の調理場と
は全然別になっていましたが、私はとくに
許されて洋食調理を拝見しました。
 感心しましたのは純洋食でなくて、日本
料理を加味していて見た目には日本料理み
たいな洋食になっていました。このとき、
殿下に三河名物の手筒を御覧に入れたので
すが、花火を出すのに紋付羽織といういで
たちは当時でも少々敬意のはきちがいとい
う感がしました。もちろん、紋付羽織は火
の粉でボロボロに焼けてしまいました。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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