2016年12月03日

「昔はなし」その143 仙十さんの太閤ぶり

仙十さんの太閤ぶり

 昔、下地に永井仙十という人がありました。も
と八星の番頭だったと言いますが、下地に出て
酒造をいとなんで成功しました。豊橋地方で
は、今大閤の名で評判でした。教育もうけな
かったので、文字もろくろく書けず文字の代り
に絵で代理をさせて手紙など書いていました。
 若いときまき絵の重箱を買って、おふくろから
「ぜいたくだ」と叱られたおり「なに、いまに使う
ときがくるよ」とうそぶいていました。彼の言う
通り、やがて財は山をなし、豊川の水を自宅ま
でひいて、庭園に大瀑布をこしらえたりしてい
ました。
 永井仙十は書画、こっとうなどは、思いきって
どんどん買いました。あるとき、私に本町の久
野に応挙の墨絵の牡丹があるから買ってきて
くれというのです。どういうわけだか、くわしく聞
くと、向うも、すでに売るといつているし、こちら
で百五十円という値をつけておいた。百五十円
持って行ってくれれば右から左へ渡してくれる
という話なんです。
 私が「あんたはそんなことを言うが、応挙は真
物にちがいないか」とただすと「家に書画が三
百本ぐらいあるが、二幅か三幅はいいものが
あるだろう、あとは偽物だと思うよ。それでいい
じやないか」と笑っていました。豪腹な男なんで
すよ。結局、百五十円でそれを買いましたが
ね、偽物だか真物かは今もわかりません。


躍進豊橋市制三十周年記念写真(昭和11年発行)より
永井仙十邸
「昔はなし」その143 仙十さんの太閤ぶり


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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