2017年05月20日
「昔はなし」その306 売立競争千草屋等々
売立競争千草屋等々
赤星家が堂々と不用品の売りたてをやっ
てから、他の資産家もこれを倣うようにな
りました。
京都の千草屋、大阪の鴻池などがこれに
つづきました。千草屋の売立てでは利休の
作ったひしやくが百円、「にんせい」の水
さしが当時で十七万円でありました。また
鴻池で猫に飯を喰わせていた皿を道真屋が
「これはたいへんな皿」とつけ出して、そ
れが廿五万円に売れたりしました。
その近くにあったうどん屋で呉州(ご
す) の丼をそれと知らず使っていたのを道
具屋が一個十円ずつで買ったという話でし
た。
つづいて名古屋の吹原家、関戸家の売立
てが行われるようになりました。関戸家の
倉には倉の入口に風呂釜だけでも二百も積
んであり、その奥にまた色々なものが積ま
れているといった具合で、売立てをやるこ
とになって、関戸家でも気づかなかったも
のが、どしどし現れてきたという噂さでした。
貫之の歌ぎれが、十幅もありましたが、
一幅が十七万円という高価で全部売れると
いう人気でもありました。
売立ても、その後に加賀の前田家のがあ
り、その目録だけでもなかなか入手が出来
なくてたいへんなものになったことがあり
ます。
豊橋では船町の服部家の売立てがはじま
り、その売上げ総額が当時で二万円(今の
二千万円位)でした。
東京、大阪、京都のこっとう屋が集り、
九時開場というのに朝の五時頃には門前に
道具屋がつめかけていました。
服部家の売立ての中に崋山の「鍾馗嫁妹
の図」というのがあってやかましかったこ
とを覚えています。
船町の服部家の売立で、崋山の「鍾馗嫁
妹の図」が出ると、誰かが三百円次に五百
円と二声値をつけました。すると東京の吉
川がすぐ千円と呼んで、吉川に落ちまし
た。そのときは場内がうなりましたね。
吉川はそこから東京へ電話をすると、客
筋から三千円で買いとるから、すぐ持って
帰れという返事に、また会場はうなりまし
たよ。その売立で乾山の深向や呉春の筆、
茶器などの名品が出たので、金のある連中
は奪い合うように買いました。
乾山の向は乾山の画もありて頗る名器
で、水井仙十がセリ落し自分の物にしたい
が自分で声をかけると高くなると思いぜひ
私にセリ落せと云いました。売立始めの呼
声が五百円と出ましたところへ私に八百円
と声をかけろと申し、八百円で永井に落ち
ました。
会場ではまさか私が落した訳では無い、
誰が買手だろうと評しました。多数は勿論
永井だろうとさゝやいていました。
赤星家が堂々と不用品の売りたてをやっ
てから、他の資産家もこれを倣うようにな
りました。
京都の千草屋、大阪の鴻池などがこれに
つづきました。千草屋の売立てでは利休の
作ったひしやくが百円、「にんせい」の水
さしが当時で十七万円でありました。また
鴻池で猫に飯を喰わせていた皿を道真屋が
「これはたいへんな皿」とつけ出して、そ
れが廿五万円に売れたりしました。
その近くにあったうどん屋で呉州(ご
す) の丼をそれと知らず使っていたのを道
具屋が一個十円ずつで買ったという話でし
た。
つづいて名古屋の吹原家、関戸家の売立
てが行われるようになりました。関戸家の
倉には倉の入口に風呂釜だけでも二百も積
んであり、その奥にまた色々なものが積ま
れているといった具合で、売立てをやるこ
とになって、関戸家でも気づかなかったも
のが、どしどし現れてきたという噂さでした。
貫之の歌ぎれが、十幅もありましたが、
一幅が十七万円という高価で全部売れると
いう人気でもありました。
売立ても、その後に加賀の前田家のがあ
り、その目録だけでもなかなか入手が出来
なくてたいへんなものになったことがあり
ます。
豊橋では船町の服部家の売立てがはじま
り、その売上げ総額が当時で二万円(今の
二千万円位)でした。
東京、大阪、京都のこっとう屋が集り、
九時開場というのに朝の五時頃には門前に
道具屋がつめかけていました。
服部家の売立ての中に崋山の「鍾馗嫁妹
の図」というのがあってやかましかったこ
とを覚えています。
船町の服部家の売立で、崋山の「鍾馗嫁
妹の図」が出ると、誰かが三百円次に五百
円と二声値をつけました。すると東京の吉
川がすぐ千円と呼んで、吉川に落ちまし
た。そのときは場内がうなりましたね。
吉川はそこから東京へ電話をすると、客
筋から三千円で買いとるから、すぐ持って
帰れという返事に、また会場はうなりまし
たよ。その売立で乾山の深向や呉春の筆、
茶器などの名品が出たので、金のある連中
は奪い合うように買いました。
乾山の向は乾山の画もありて頗る名器
で、水井仙十がセリ落し自分の物にしたい
が自分で声をかけると高くなると思いぜひ
私にセリ落せと云いました。売立始めの呼
声が五百円と出ましたところへ私に八百円
と声をかけろと申し、八百円で永井に落ち
ました。
会場ではまさか私が落した訳では無い、
誰が買手だろうと評しました。多数は勿論
永井だろうとさゝやいていました。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし
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