2017年05月14日

「昔はなし」その300 送別会で料理屋見物

送別会で料理屋見物

 私が横浜に下宿して居たとき、いよいよ
豊橋へ戻ることになりました。知人が送別
会を開くから明日来てくれというのです。
そして横浜一の八百坂という料亭へ案内す
るということでした。私は、どうせ御馳走
になるのなら日本料理よりは西洋料理がよ
いというと八番館へ行こうと云ってフラン
ス人の経営のそこへ案内してくれることに
なりました。
 私は料理よりもその店の中が見たかった
のです。四人掛のテーブルが五百くらいな
らんでいて、食事時間には、二階の各部屋
から巾が何間もある階段を外人男女が手を
組んでおりてくる姿はまるで映画みたいで
した。もちろん、料理も立派で私はいい送
別会をしてもらったものだと友人に感謝し
たことも昔のなつかしい想い出です。
 横浜を立つとき、万珍という支那人街に
ある中華料理屋へも寄ってみました。ここ
へは東京の通人などもわざわざ出かけて来
るほどの店で料理は実に格別です。
 当時から私は思っているのですが、日本
料理といつて威張ってみてもサシミ以外に
日本独特の料理はないわけで、日本料理の
すべては各国の料理の影響をうけていま
す。とくに日本料理を云々する人は支那料
理の研究を終了しなくてはほんとうの日本
料理は云々できないと、いつも思っている
ことです。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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