2017年04月20日
「昔はなし」その276 原富太郎の三溪園
原富太郎の三溪園
横浜に原富太郎という富豪がありまし
た。なんでも以前は女学校の先生かなにか
していたそうですが、原家へ養子にはいっ
たんです。原家の娘にぞっこん見込まれた
わけですが、原家では教育者上がりは大反
対だったようです。
ところが、人は判らないもので、養子に
入れてみると、親父をしのぐ実業家の素質
をもち、有名な三溪園などをつくって、一
般人の遊覧地などもつくりました。
これがまた、すごい規模で、古寺を京都
から買ってきて建てたり、天神社の古いの
を移したり、金に糸目をつけない豪華な造
園ぶりでした。
この原富太郎のつくった三溪園内に支那
風のお茶屋がつくられました。
誰でも休憩できるし、また誰にでも一服
の茶が出されました。その茶席に崋山先生
の竹の図がかかっていたのには私も驚きま
した。さすが三溪園の憩茶屋だと思いまし
た。
その公園の隅に原家の別邸がありました
が、これは桃山城内の淀君の御殿で、かつ
て淀君が釣をして遊んだという由緒もある
ものです。その室内には、淀君のおりにふ
れてつくった歌の反古などがふすまに張っ
てありました。
また原富太郎は公園まで通じる道路の両
側に家を自分でつくり、それに人を入れて
商売の繁栄をはかるなど、繁華を工夫して
いました。
横浜に原富太郎という富豪がありまし
た。なんでも以前は女学校の先生かなにか
していたそうですが、原家へ養子にはいっ
たんです。原家の娘にぞっこん見込まれた
わけですが、原家では教育者上がりは大反
対だったようです。
ところが、人は判らないもので、養子に
入れてみると、親父をしのぐ実業家の素質
をもち、有名な三溪園などをつくって、一
般人の遊覧地などもつくりました。
これがまた、すごい規模で、古寺を京都
から買ってきて建てたり、天神社の古いの
を移したり、金に糸目をつけない豪華な造
園ぶりでした。
この原富太郎のつくった三溪園内に支那
風のお茶屋がつくられました。
誰でも休憩できるし、また誰にでも一服
の茶が出されました。その茶席に崋山先生
の竹の図がかかっていたのには私も驚きま
した。さすが三溪園の憩茶屋だと思いまし
た。
その公園の隅に原家の別邸がありました
が、これは桃山城内の淀君の御殿で、かつ
て淀君が釣をして遊んだという由緒もある
ものです。その室内には、淀君のおりにふ
れてつくった歌の反古などがふすまに張っ
てありました。
また原富太郎は公園まで通じる道路の両
側に家を自分でつくり、それに人を入れて
商売の繁栄をはかるなど、繁華を工夫して
いました。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし