2017年04月19日
「昔はなし」その275 セメント王浅野総一郎
セメント王浅野総一郎
セメント王の浅野総一郎が社業隆々とし
てはばをきかせていたころです。品川の山
の手へ立派な邸宅をつくりました。西洋人
の客をもてなすために、いろいろの工夫が
なされていました。
はしご段の両側には、等身大の人形が六
つも立っていました。それには、すべて、
能衣裳が着せてあって、二階へ上りなが
ら、見せる立派なものでした。二階の調度
品は金まき絵で、これがまた目をみはらせ
るほど立派なもので、人々はこの邸宅を品
川御殿と呼んでいました。
浅野総一郎の品川御殿入口の横に洗濯屋
がありました。二階座敷からこの洗濯屋の
物干に桃色の腰巻などがひらひらするのが
見えるので浅野家の方から「値段はいくら
でもよいから、家ぐるみ売ってくれ」とい
う交渉が行われました。そして「他に建築
するなら、それも建ててやる」という話で
したが、洗濯屋は「金は一銭も要らない、
越せというなら引越す」という返事でし
た。「それでは何か望みがあるだろうか」
というと洗濯屋が「望みは御殿を私にゆず
っていただくことだ」というので、この話
しは御破算になりました。
今は家も沢山できて、品川御殿も、沢山
の屋根の向うに、ちょっとそびえているだ
けですが、おそらく、最後まで洗濯屋との
交渉はつかなかったことと思います。
セメント王の浅野総一郎が社業隆々とし
てはばをきかせていたころです。品川の山
の手へ立派な邸宅をつくりました。西洋人
の客をもてなすために、いろいろの工夫が
なされていました。
はしご段の両側には、等身大の人形が六
つも立っていました。それには、すべて、
能衣裳が着せてあって、二階へ上りなが
ら、見せる立派なものでした。二階の調度
品は金まき絵で、これがまた目をみはらせ
るほど立派なもので、人々はこの邸宅を品
川御殿と呼んでいました。
浅野総一郎の品川御殿入口の横に洗濯屋
がありました。二階座敷からこの洗濯屋の
物干に桃色の腰巻などがひらひらするのが
見えるので浅野家の方から「値段はいくら
でもよいから、家ぐるみ売ってくれ」とい
う交渉が行われました。そして「他に建築
するなら、それも建ててやる」という話で
したが、洗濯屋は「金は一銭も要らない、
越せというなら引越す」という返事でし
た。「それでは何か望みがあるだろうか」
というと洗濯屋が「望みは御殿を私にゆず
っていただくことだ」というので、この話
しは御破算になりました。
今は家も沢山できて、品川御殿も、沢山
の屋根の向うに、ちょっとそびえているだ
けですが、おそらく、最後まで洗濯屋との
交渉はつかなかったことと思います。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし