2017年04月16日

「昔はなし」その272 女にもてた斎藤松洲

女にもてた斎藤松洲

 関屋町の玉屋という料亭の一室を借りて
京都の斎藤松洲という画家が二、三カ月滞
在していたことがあります。
 当時松洲は三十才くらいでしたが、画風
は錦絵的で筆法が久保田米遷画風でした。
 美人画を多く描き、風雅なものではなか
ったが、相当な絵だったと思います。
 すばらしい美男で、しかも長髪でした。
その髪を絹のひもで結んで、それを肩さき
へ垂らせているんですが、そのスタイルは
ちよつといきでした。それや、これやで絵
に何の関係もない若い娘にたいへんな人気
をはくしていて、ちょうど今の映画俳優を
思わせるほどでした。
 美男画家斎藤松洲はアメリカからきたカ
メオという婦人用のタバコをすつていまし
た。十本入りが三十銭くらいでしたが、ぜ
いたくなタバコとされていました。
 松洲はこれを一、二回すうと、すぐ灰の
なかにさして、それが次第に火鉢のなかヘ
クイのようにならんでいきます。
 当時、若い娘たちは、松洲がきれいだか
らというので、松洲のところへやってき
て、その吸いがらのタバコを紙に包んでも
っていこうとするのです。松洲が「新しい
のがここにあるから」と言っても「これが
いいの」と持って帰っていきました。
 ある日、私が後から帰ると「私のは一回
よ」「私のは二回よ」と戻りの娘が騒いで
いるので、なんの事かと思うと、松洲が口
にした吸がらタバコのことなんです。
 私は、良家の子女のあさましい様にあき
れて腹立たしくなりました。ちようど中西
建蔵のつくった花壇のあたりでしたので
  知らぬ間に色づきそめし園の花
と、一句つくって胸のむかつく思いをなお
しました。この花壇は後の百花園のこと
です。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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