2017年04月11日

「昔はなし」その267 尾州家出品の展覧会で

尾州家出品の展覧会で

 明治二十三年だったかと思いますが、東
京で博覧会がはじめて開かれたとき尾州家
の出品の立派な棚物を拝見しました。
 そのほか、旧大名の所蔵品が沢山ならべ
られていまして、今でいう名宝展ともいう
べきものです。
 尾州家の棚物は金、銀でちりばめた梅の
まき絵なんですが、ひき出しが一つだけ不
足しているんです。
 ところが、すぐ側に、そのひき出しだけ
が一点別に陳列してあるのですね。ひき出
しの出品者は、尾州家とは全然別の人で、
尾州家にたいして棚をゆずってくれとい
い、尾州家はその人にひき出しをゆずって
くれといって両々ゆずらず、お互いが棚と
ひき出しを別々所有したまま、博覧会へ出
品したという話でした。
 その後、名古屋でこの棚を拝見したと
き、ひき出しはちやんと、おさまつていま
した。話がついて尾州家へひき出しは戻つ
たものと思います。
 やはり、明治のころ、名古屋で尾州家の
展覧会が催されたことがあります。このと
き、金ずぐめで、長さ二尺もあるかと思わ
れる割木のように太い金の棒が五本も束に
しばって、出品されていました。そして、
ふんどうが五個、これも金でした。ほかに
金の台司、金の風呂釜、金の水さし、金の
勺立、金の建水から金のひばし………な
ど、いずれも金ずくめで、これには全く驚
きました。
 また木盃の陳列がありましたが、この木
盃はまき絵になっていて、近江八景が描か
れているものでありました。弁当箱が二百
個ほど出ていました。一つとして同じ型の
ものはありませんでした。茶碗の類はすべ
て青磁ばかりでした。このとき十一屋呉服
店の有名な人形手の茶碗も出してありまし
た。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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