2017年04月08日

「昔はなし」その264 大阪の客を感服さす

大阪の客を感服さす

 網太の先代の山本安太郎は、豊橋ではじ
めて漁網の業をひらいた人です。当時は手
あみでやっていました。なかなか交際上手
で会議所の会頭までやって、趣味は書画こ
っとうでした。ある日、私のところへ来
て、大阪の取引先の客を招待するについ
て、大阪人が感心するような事をしたいか
ら頼むという話です。それも明後日という
急なことでしたが、私も何とかして大阪の
客を驚かせたいと、まず床の間の軸から苦
心しました。
 軸は秘蔵の伊川院のほとゝぎすに宗中公
の讃のあるものをえらびました。これは三
尺床のものだが一間の床へかけました。見
ると大きな床の間に小さい掛物も面白いも
のでした。
 これに合せるために自分のもっていた宗
偏好みの細竹編みの花器へうづきの花を生
けました。そして料理も器物もこれにとも
なうように苦心しました。
 大阪の客をもてなした翌日網太の主人が
やってきて「豊橋にこういう、やりかたを
する家があったか」とほめられたと感謝さ
れ、「昨日の勘定はいかほどになる」とい
われたので「私は商売でやったのではな
い。また勘定は計算できない」というと
「それは困る。どうすればよいか」といわ
れました。
 私は「では明日、私にお茶を一服御馳走
して下さい。それで十分です」と申しまし
た。網太の主人も「それはお安いことだ」
と翌日、私を茶によんで下さったが、帰り
に「これは家内からの土産だ」と何やら手
に提げるものを下さった。私が家に戻って
みると「昨日の費用の一部」として金一封
がはいっていました。返すこともできず、
私は一句浮び
   いぼ鯛でことおさまりし春の海
 これで、この件はおさまりましたが、こ
ういうこりかたでは商売も余りもうかりま
せんね。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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