2017年03月31日

「昔はなし」その256 盲啞学校の創立者達

盲啞学校の創立者達

 豊橋の盲啞学校の創立には西八町の鈴木
元春医師の父の鈴木構一郎と中八町の菅沼
歯科医の父の忠人の二氏が最も努力しまし
た。また関屋の小山与作も奔走人に加って
いました。
 鈴木構一郎は書画を好んで崋山に傾倒し
ていました。崋山のものがでると、金に糸
目をつけずに、何でも買いこむので妻君が
いつもこぼしていました。管沼忠人も書画
に通じ弓術の大家でした。
 盲啞学校をつくるころ、市民のなかには
「何もめくらや啞の学校にあれまで血の道
をあげることはない」と冷やかな態度をと
る人々もありましたが、そういう批評をか
まわずにつくりあげた先人の功績は大きい
と思います。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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