2017年03月21日

「昔はなし」その246 明治大帝へ一書を送る

明治大帝へ一書を送る

 私は小学校のころ明治大帝へ清書を奉って
校長から九鶴の名をいただきましたが、小華先
生から松石という号をいただいてからは、以後
ずっと松石を用いてきました。小華先生の処へ
画を習いたいと行った時、「お前は画より書を
学べ」と云われ私に松石の号をくれました。
 あるとき小野道平の息子の小野芳水という新
聞記者が私に狂詩を送ってきました。
   つづみの声はかっぽうって(割烹)
   きわまりなし大入繁昌
   千歳の裡息子よく乱舞に通す
   理一天作金をためて翁
 という狂詩です。その中の理一天作は面白い
と思いまして、狂歌などの場合にその文字を号
に使ったこともあります。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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