2017年03月19日

「昔はなし」その244 矢崎茂の精力源は?

矢崎茂の精力源は?

 昔、豊橋では豊橋病院長の矢崎茂と河合病
院長の河合清が代表的な医者でした。あると
き矢崎が私に「おい、俺と一緒においとこを踊
れ」と申しますので、つき合って踊りました。私
は十分も踊ると「もういけません」と疲れが出て
しまったのですが、矢崎は悠々と三十分問も踊
りつづけていました。
 河合院長が、その席について「矢崎の精力に
かなう人間はないよ」と笑っていましたが、精
力絶倫という言葉は矢崎茂のために生れたよ
うな感じのする医者でした。
 あるとき、私が豊橋病院長の矢崎茂の家へ
行くとちょうど食事中で「君も一緒に飯を喰え」
というのです。「いや、私はもうすんできた」とい
って、ふと見ると、金あみの上で矢崎は何か焼
いています。そして、なかなかうまそうな匂いな
んです。「それは何ですか」と聞くと「これかい、
精力薬だよ」と申しました。
 矢崎は、むしやむしやと、それを喰いながら、
「大学時代のボート競走とかマラソン大会の前
夜には必ずこれを喰ったものだ」というので、
「へえ、そんなものがあったら教えて下さい」と
いうと「これはなネズミだよ」というのには驚き
ました。
 今になって考えると、一代の精力をうたわれ
た矢崎院長も先に亡くなり、河合院長も歿し
て、いちばん弱かった私が長生きをするなんて
ことは、感慨ふかいものがあります。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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