2017年03月16日

「昔はなし」その241 一恵斎風の高久隆古

一恵斎風の高久隆古

 崋山先生時代に高久隆古という画家があり
ました。この人は、もし崋山先生が、当時いな
かったら、当然、華山先生の地位にとって代る
ほどのすぐれた画家だったと思います。高久隆
古の四幅対の「四季の月」は大茶人の米庵老
が持っていました。その後、伊藤治郎の手にわ
たったが、それからどうなったかは知りません。
 もう一つは曾田良吉のところにあった「石山
寺の図」が立派なものでした。豊橋にいたけれ
ど、隆古はどこの生れかはよく存じませんでし
た。この人の画風は浮田一恵斎によく似ていま
したから、ひよっとすると一恵斎をひそかに崇
拝していたのかもしれません。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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