2017年03月15日

「昔はなし」その240 女郎屋の看板を書家が競う

女郎屋の看板を書家が競う

 女郎屋は昔、貸座敷と言っていましたが、は
じめは席貸茶屋と呼んでいました。
 席貸茶屋と言わなくなってから、家名に楼を
つけるようになりました。その看板は相当の書
家が競って筆をとったものでした。ですから、
閑人のなかには女郎屋に登楼しないで、筆跡
を眺めて歩くのも楽しみだと、花街を看板を眺
めながら歩く人も相当ありました。
 楼名も敷島屋が扶桑楼、大花屋が遊仙楼、
菊岡が晩香楼、鍵屋が金鎖楼、織屋が鶯援楼
などとなりました。このほかに寿司屋、うなぎ屋
の看板もみな一流の書家が書いたものです。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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