2017年03月13日
「昔はなし」その238 渡辺小華は恐妻家
渡辺小華は恐妻家
ある日でした。渡辺小華の奥さんが「今夕は
先生が豊川へ、船で夕涼みにいかれるから、
あなたも船に乗りませんか」と、いう話でした。
「ぜひ、お供させていただきます」とその夕方、
船でお供をしました。
豊川の向う岸へ船がつくと、小華は砂地へ上
って、すぐスケッチにとりかかりはじめました。
奥さんは一人、船で何やらしたためていまし
た。奥さんは私に「いま詠んだ歌ですが」と、
示したのは
風そよぐ同じあしべに船とめて
暑さを流す心涼しも
と云う歌でした。「けっこうな歌だからもう一枚
書いていただきたい」と申しました。すると須磨
子夫人は「歌はこゝで詠んだのですから、ここ
での値うちはありますが、他の場所で見たら価
値はありません。この場かぎりのものです」と
申されました。こういうところが小華夫人の頑固
なところで、小華の生きていた頃には恐妻病な
どという言葉はなかったが、小華などは今でい
えば恐妻家の立場に立った人でした。
ある日でした。渡辺小華の奥さんが「今夕は
先生が豊川へ、船で夕涼みにいかれるから、
あなたも船に乗りませんか」と、いう話でした。
「ぜひ、お供させていただきます」とその夕方、
船でお供をしました。
豊川の向う岸へ船がつくと、小華は砂地へ上
って、すぐスケッチにとりかかりはじめました。
奥さんは一人、船で何やらしたためていまし
た。奥さんは私に「いま詠んだ歌ですが」と、
示したのは
風そよぐ同じあしべに船とめて
暑さを流す心涼しも
と云う歌でした。「けっこうな歌だからもう一枚
書いていただきたい」と申しました。すると須磨
子夫人は「歌はこゝで詠んだのですから、ここ
での値うちはありますが、他の場所で見たら価
値はありません。この場かぎりのものです」と
申されました。こういうところが小華夫人の頑固
なところで、小華の生きていた頃には恐妻病な
どという言葉はなかったが、小華などは今でい
えば恐妻家の立場に立った人でした。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし