2017年03月05日

「昔はなし」その230 若狭焼と伏見宮

若狭焼と伏見宮

 料理も昔はいろいろな流派がありました。江
戸時代に四条流から生間流、大草流、薗部
流、小笠流などが出ました。
 こういう流派の前に鎌倉の武家料理がありま
した。この鎌倉料理の中で他にはないが武家
の祝儀には欠かすことのできない料理が一品
だけあります。それは鯛をそのまま焼く料理で
す。
 そのままとは、こけらをとらないで焼きます。
供膳のときは、上位に向けた方の皮を一寸ほ
どむいて、それをまた元のようにかむせておき
ます。
 食事をする人は、ハシで皮をまくり、そこに出
てきた「み」だけを食して、皮はまた元のように、
かむせておきます。これを若狭焼と申します。
 私も、鯛を若狭焼にして祝いの席に出したこ
とはありますが、この食い方を知っている人は
一人もありませんでしたが、礼法通り召上られ
た、ただ一人は伏見宮貞愛親王御一方だけで
した。さすが諸礼に明るい方だと感服いたしま
した。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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