2017年02月26日

「昔はなし」その223 普茶料理

普茶料理
 
 江戸前という料理が云々されたころ東京山谷
の八百善が支那風を混ぜて、普茶料理という
のをはじめました。
 案内も支那風に、テーブルも腰かけも支那風
にして料理が終ると七星湯というのを麦わらで
呑ませたりしました。
 今日でいう、ハイカラな人々には人気があり
ましたが、一般には純粋な日本料理の方がよ
いというので途中で止めになりましたが、一時
は人気だけは高かったようです。ここでは普茶
料理を折詰や重詰にしていました。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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