2017年02月12日

「昔はなし」その209 句佛上人の手紙

句佛上人の手紙

 たまたま句仏上人が豊橋へこられたとき、豊
橋ヘゆかれたならば私にあってみよと金剛の
家元がいったので私はよばれました。もともと
句仏上人と私とを結んでいただいたのは金剛
家元なんですので、私は句仏上人のもとへ御
挨拶に出かけて、三時間ほど、お話してもどり
ました。そのおり、ぜひ京都ヘきたら寄るように
と申されました。
 句仏上人は京都へ戻られると、長い手紙を
下さいました。奉書紙へ、まるで年来の友達
へ送るような文面で、親しみぶかい言葉がつ
らねてありました。封筒は本願寺のしるしのつ
いたものでした。
 私は、たいせつに表装しておきましたが、つ
いに焼いてしまいました。当時、上人から一枚
の色紙を書いていただいても、たいへんな時
代ですから、私のもっていた上人の書状は人
々からたいへんうらやましがられたものです。
 句仏上人の有名なる一句は「もたいなや祖
師は紙子の九十年」ですが句仏上人の書画と
も容易に入手出来がたく当時やかましいもの
でした。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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