2017年02月07日

「昔はなし」その204 武田賢次の奇才

武田賢次の奇才

 武田賢次が県会議員をやっていたころ、岡
崎の近くの二つの村が合併することになりま
した。そのとき戸数、人口の多い方の名を合併
村名の上につけてほしいと頼まれた武田は「よ
ろしい」と二つ返事で承認しました。
 ところが、どういうものか、合併のとき大きい
村の方の名が下へついてしまった。そこで大き
い村の連中が大挙して武田のところへ押しか
けてきました。武田は靴をはいて玄関を出ると
ころでしたが、村民の文句を聞いてから「君ら
は正月の鏡餅を知っているか、大きい方が下
になっているだろう」と言ってさっさと出かけた
のには、村民たちも、返事のしようがありませ
んでした。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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