2017年01月24日
「昔はなし」その190 豊橋と先代歌右衛門
豊橋と先代歌右衛門
明治十一年頃でしたかね。阪東秀調や中村
芝翫が豊橋へきました。中村芝翫というのは、
今の歌右衛門の先々代で例の常小屋でやりま
した。能狂言から出た「うつぼ猿」を芝居化した
ものをやりました。
そのとき芝翫の息子の福助が二十歳頃で伏
姫をやりました。その美しいことったらありませ
んでした。セリフの中で「はからずも豊橋へ参
上できたが、私は生れつき身体が弱いので豊
橋へ参るのもこれが最後になりましょう」と、ひ
どく悲しげな口上を述べたので客の中には泣
いているものもありました。その福助が後の歌
右衛門(先代のこと)となり、九十歳まで生きた
んだから、人の寿命のことはわかりません。
明治十一年頃でしたかね。阪東秀調や中村
芝翫が豊橋へきました。中村芝翫というのは、
今の歌右衛門の先々代で例の常小屋でやりま
した。能狂言から出た「うつぼ猿」を芝居化した
ものをやりました。
そのとき芝翫の息子の福助が二十歳頃で伏
姫をやりました。その美しいことったらありませ
んでした。セリフの中で「はからずも豊橋へ参
上できたが、私は生れつき身体が弱いので豊
橋へ参るのもこれが最後になりましょう」と、ひ
どく悲しげな口上を述べたので客の中には泣
いているものもありました。その福助が後の歌
右衛門(先代のこと)となり、九十歳まで生きた
んだから、人の寿命のことはわかりません。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし