2017年01月21日

「昔はなし」その187 伏見宮のスープ

伏見宮のスープ

 食通であった伏見宮貞愛親王は、毎朝鶏の
スープを召上りました。これも煮立った湯では
いけない、湯せんにして、鶏のあぶらが少しで
も浮いていてはいけないというです。やかまし
いようですが、料理の極意に到達されていた
わけです。廿一日間も私の家に御滞在中に、
私はじつに多くのことを教わりました。
 食通の大隈重信の邸宅の調理場は料理屋も
顔まけするほど設備がととのっていました。私
も拝見に参上しましたが綾子夫人がまた料理
にかけては一見識も二見識ももっておられまし
た。邸宅では毎日三十人位の客があるので、
それらの客にすぐと食事なり料理が出せるよう
に、お勝手元を広くして、その設備が完備され
ていたものと思います。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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