2017年01月14日

「昔はなし」その180 村野の別荘披露

村野の別荘披露

 豊川鉄道の整理にやってきた村野山人が須
磨に別荘をつくりました。その竣工祝いに私に
も来いという案内状が参りました。なにしろ、天
下の名士が集るという話なので、私も服装につ
いて弱りました。田舎者が時代おくれの背広服
などを着て出かけては、せっかくの晴れの祝賀
会に目ざわりだろうと存じまして、紋付袴という
格構で、でかけました。
 向うへ参りますと、朝野の名士、二千人が招
待され、それが別荘へぞくぞくと集ってくるのに
は驚きました。村野の別荘は洋館一棟が宏大
な日本造りの母屋のほかにありました。洋館の
ガラス窓は、すべて舶来のステンドガラス(着
色絵ガラス)でストープのひばしまで金メッキで
あったのはなかなかのことに動じない私も驚き
ました。
 村野山人の別荘の日本屋の方には村野の
所蔵品がずらりと陳列され、自由に来会者に
観覧させました。それらの品は日本の武具、
刀劍、などが中心で、足利、鎌倉、戦国、桃
山、徳川といった各時代別に陳列され、まる
で武具博物館にはいっている感じがしました。
 開式前に早くも模擬店が用意され、大阪名代
の寿司、しるこ、かきもちなどを来会者は自由
に味わい、それを接待するのは大阪、京都え
りぬきの芸妓者五十余人で花のごとく盛装し
てこの間を縫う様子は日ごろぜいたくを誇る
当時の阪神の豪商連も、たまげたようです。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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