2016年12月27日

「昔はなし」その167 火事場と安藤

火事場と安藤

 火事の鐘がジャンと鳴ると、安藤政次郎は例
の鉄カブトにトビグチを持って、駈けつけて、ま
っさきに屋根に上りました。
 火事場で屋根へ上るということは各消防組が
先を争った時代で、なかなか、うるさいことでし
たが、安藤だけは屋根へ先に上ってもどこの
消防からも文句がでませんでした。つまり天下
御免の看板をもらっていたわけです。
 上伝馬裏の動物園から常磐通り、つまり大野
銀行の裏へ、あとで安藤動物園が移ったこと
があります。息子の一人は動物のはく製をつく
るといって、その薬のために、惜しくも亡くなっ
たのはこの頃でしたろうか。
 日清戦争のときでしたかね。十八連隊にもつ
いに外地出征の動員令が下り、営門から豊橋
駅まで軍隊が行進していくとき、安藤政次郎だ
けは特別に許されて、その行進に加えられま
した。
 例の鉄カブトを真深にかむり、安藤清正と墨
痕も鮮かな旗を背負って連隊のラッパを吹く兵
の前に安藤が立って、市街を堂々行進してい
った得意な様子は、いまも浮んできます。そう
いう稚気というか純情素朴な性格だっただけに
難儀をしている人があれば、それを助けないで
はいられないという男でした。安藤の妻君もな
がく動物を扱っていただけに猛獣の扱いなど
は馴れたもので、まわりが尺余もある大蛇を自
分の身体へまきつけたり、解かしたりして人に
見せてくれました。安藤の年始は裃を着て、小
馬に乗って街々を行きました。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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