2016年12月18日
「昔はなし」その158 不蔵庵の庭つくり
不蔵庵の庭つくり
戦災がなかったら、豊橋には今でも名園が残
っていたろうにと惜しまれます。庭らしい庭は和
田稲城、関屋の三輪宏忠、大手通の鈴木玄
中、本町の兼子魚典、呉服町の板輪竜俺、東八
町の柴田豊水、魚町の杉田六江、羽田の羽田
文庫などは当時でも名のある庭園でした。
このうちの多くは不蔵庵竜溪の手になったも
のです。竜溪は京都の人で宗偏の門にありま
したが、宗偏と同じ位の人と思います。江戸へ
向う途中、岡崎の本多侯にひきとめられ岡崎
に住みつくようになった関係から岡崎、豊橋に
は弟子も多かったわけです。
戦災がなかったら、豊橋には今でも名園が残
っていたろうにと惜しまれます。庭らしい庭は和
田稲城、関屋の三輪宏忠、大手通の鈴木玄
中、本町の兼子魚典、呉服町の板輪竜俺、東八
町の柴田豊水、魚町の杉田六江、羽田の羽田
文庫などは当時でも名のある庭園でした。
このうちの多くは不蔵庵竜溪の手になったも
のです。竜溪は京都の人で宗偏の門にありま
したが、宗偏と同じ位の人と思います。江戸へ
向う途中、岡崎の本多侯にひきとめられ岡崎
に住みつくようになった関係から岡崎、豊橋に
は弟子も多かったわけです。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし