2016年12月15日

「昔はなし」その155 鼻をつまむ富田吉作

鼻をつまむ富田吉作

 昔はおかしな酒のみがいました。札木の富田
吉作は酒の匂いが大嫌いなくせに酒が好きな
んです。酒をのむたびに「ああ、いやな匂いだ」
と鼻をつまんでは片手で飲んでいました。また
本町の大木吉弥は御膳にボタモチをつんで、
甘いのをつまみながら、いくらでも飲みました。
 児玉源太郎(当時は中佐)は豊橋へ来られる
と、まず焼ちゅうを二合入のコップでキューツと
やってから、酒にはいるのが例でした。
 札木の滝崎久兵エ老人は生のニンジンを「お
だま」に切って、朝、昼、晩それを酒のさかなに
して飲んでいました。酒は冷酒で、それを飲み
ながら話の相手になっているのです。
 花園町の浅井常三は自分が買った酒でない
と飲まないという人でした。どんな会合があっ
ても、自分で酒を持参していく、そして、その酒
を手酌でのむのです。ですから常三は外に出
るときは、二本の酒だけは必ず持って歩いてい
ました。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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