2016年12月14日
「昔はなし」その154 札木の夕涼みと冬の夜
札木の夕涼みと冬の夜
昔の札木では夕方になると、どこの家でも表
の涼台にゴザを敷いてそこで食事をとりまし
た。蚊が多いので縁台の下でベボーの木など
をえぶしました。お互に隣の縁台に向って挨拶
をするわけでもなく思い思いの夕食でした。
向う側とこちらの、台の距離は三尺くらい空
いているだけで、のぞけば隣のおひつの中ま
でも丸みえといった格構です。もちろん、今日
のように人通りもなく、ことに夕食時は人通り
はパッタリと絶えていました。飯が終ると行燈
を縁台にのせて碁、将棋が始まり、おそくまで
娯しむわけですが、のんきと言えば、ずいぶん
のんきな時代でした。
札木通も、昔は暗い町でした。冬などは人見
障子の一本だけに中の行燈の火が黄色く映じ
て、まったく時代劇に出てくるような淋しい夜景
でした。しまつな家では燈芯一すじに火をとも
しているだけですから暗いわけです。外出には
どこの家でも入口には「ぶら提灯」があってそ
れをさげて歩かないと、足元が危かったんです
から、当時の夜がどんなものだったか想像でき
るでしょう。
昔の札木では夕方になると、どこの家でも表
の涼台にゴザを敷いてそこで食事をとりまし
た。蚊が多いので縁台の下でベボーの木など
をえぶしました。お互に隣の縁台に向って挨拶
をするわけでもなく思い思いの夕食でした。
向う側とこちらの、台の距離は三尺くらい空
いているだけで、のぞけば隣のおひつの中ま
でも丸みえといった格構です。もちろん、今日
のように人通りもなく、ことに夕食時は人通り
はパッタリと絶えていました。飯が終ると行燈
を縁台にのせて碁、将棋が始まり、おそくまで
娯しむわけですが、のんきと言えば、ずいぶん
のんきな時代でした。
札木通も、昔は暗い町でした。冬などは人見
障子の一本だけに中の行燈の火が黄色く映じ
て、まったく時代劇に出てくるような淋しい夜景
でした。しまつな家では燈芯一すじに火をとも
しているだけですから暗いわけです。外出には
どこの家でも入口には「ぶら提灯」があってそ
れをさげて歩かないと、足元が危かったんです
から、当時の夜がどんなものだったか想像でき
るでしょう。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし