2016年12月04日
「昔はなし」その144 愛銀と仙十と二連木坊主
愛銀と仙十と二連木坊主
小野酒店を買って、そのあとへ愛知銀行が改
築されたとき、改築披露に預金者を招待するこ
とになりました。調べると、預金の最高額は昔
の人はみんな知っている二連木乞食坊主とわ
かりました。銀行でも、二連木の乞食坊主を真
正面の上席へ据えるのには弱りはてて、どうし
たものだろうかと頭を脳ましました。
第二位の預金者は永井仙十だったので、銀
行側が仙十の家へ行って、仙十を正面に据え
るよう、預金面をふやしてくれと交渉をしました。
すると、仙十は二連木乞食坊主が誰の上に
座ろうが、文句はないではないか、少くとも私
は、一向かまわない。私が正座に座りたいから
預金をふやしたなんてことは嫌なことだと同意
しないのです。乞食坊主の下座でも何んでも
構わないといいました。あれや、これや、と交
渉のはてに仙十が「それなら、そういうことで
なく、単に預金をせよというなら」という話で応
じました。そして仙十が当日の正座に座ること
になって祝賀会の席順のことはおさまったよう
です。
こんな記事を見つけました。一部を抜粋です。
若干話が違っていますが同じ話です。
福沢桃介著「財界人物我観」(昭和5年発刊)
三州豊橋の二連木という所に一人の乞食坊
主がいた。名を宮川藤衛といって、四五年前ま
で生きていた。
かつて愛知銀行豊橋支店で、主な預金者を
招待したことがある。その時、この乞食坊主が
同行に十万円の預金を持っており、預金者頭
というところから首席に着いて一座を驚かせた。
乞食坊主でありながら、十万円の銀行預金
があるというのが、すでに変わっているのに更
にこの坊主には女房もなければ子供もなく、自
分一人がせま屋に住んで、普通の乞食にも真
似の出来ない粗末な生活をして一生をおくった。
この乞食坊主に、「金ばかり溜めたってつま
らんじゃないか。少しは贅沢をしてはどうか。
また愛知銀行に安い利息で預けておくより、
株でも買って有利にまわした方がよかろう」
などと勧める者があったが、坊主は馬耳東風
と聞き流して一切耳を傾けなかった。その理由
がまた極めて簡単である。「衲僧が人の門前に
立って、アーンとお経を読んで、一銭二銭とも
らった刹那の愉快さは何ともいわれぬいい心
持ちだ。もらった金は楽しんだ後の粕だから、
どうなろうと介意するに足らぬ。だから、銀行
へ放り込んでおくんだ」と。
何と大悟徹底したものではないか。これで
は、釈尊も達磨もこの坊主には及ぶまい。
小野酒店を買って、そのあとへ愛知銀行が改
築されたとき、改築披露に預金者を招待するこ
とになりました。調べると、預金の最高額は昔
の人はみんな知っている二連木乞食坊主とわ
かりました。銀行でも、二連木の乞食坊主を真
正面の上席へ据えるのには弱りはてて、どうし
たものだろうかと頭を脳ましました。
第二位の預金者は永井仙十だったので、銀
行側が仙十の家へ行って、仙十を正面に据え
るよう、預金面をふやしてくれと交渉をしました。
すると、仙十は二連木乞食坊主が誰の上に
座ろうが、文句はないではないか、少くとも私
は、一向かまわない。私が正座に座りたいから
預金をふやしたなんてことは嫌なことだと同意
しないのです。乞食坊主の下座でも何んでも
構わないといいました。あれや、これや、と交
渉のはてに仙十が「それなら、そういうことで
なく、単に預金をせよというなら」という話で応
じました。そして仙十が当日の正座に座ること
になって祝賀会の席順のことはおさまったよう
です。
こんな記事を見つけました。一部を抜粋です。
若干話が違っていますが同じ話です。
福沢桃介著「財界人物我観」(昭和5年発刊)
三州豊橋の二連木という所に一人の乞食坊
主がいた。名を宮川藤衛といって、四五年前ま
で生きていた。
かつて愛知銀行豊橋支店で、主な預金者を
招待したことがある。その時、この乞食坊主が
同行に十万円の預金を持っており、預金者頭
というところから首席に着いて一座を驚かせた。
乞食坊主でありながら、十万円の銀行預金
があるというのが、すでに変わっているのに更
にこの坊主には女房もなければ子供もなく、自
分一人がせま屋に住んで、普通の乞食にも真
似の出来ない粗末な生活をして一生をおくった。
この乞食坊主に、「金ばかり溜めたってつま
らんじゃないか。少しは贅沢をしてはどうか。
また愛知銀行に安い利息で預けておくより、
株でも買って有利にまわした方がよかろう」
などと勧める者があったが、坊主は馬耳東風
と聞き流して一切耳を傾けなかった。その理由
がまた極めて簡単である。「衲僧が人の門前に
立って、アーンとお経を読んで、一銭二銭とも
らった刹那の愉快さは何ともいわれぬいい心
持ちだ。もらった金は楽しんだ後の粕だから、
どうなろうと介意するに足らぬ。だから、銀行
へ放り込んでおくんだ」と。
何と大悟徹底したものではないか。これで
は、釈尊も達磨もこの坊主には及ぶまい。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし