2016年12月01日

「昔はなし」その141 京の能と折詰

京の能と折詰

 豊太閤の墓が京都の阿弥陀峰へつくられた
とき、その除幕式というか、建碑式に出かけた
ことがあります。
 一般会員は二円五十銭おさめると参列でき
たわけです。そのとき能楽が五日間つづけら
れ、各流家元が出演することになりました。
私はうっかり会員章を忘れていったので、前日
事務所へ行って、能楽をぜひ見たいがという
と、会員章がなくては入れられないというので
す。もう一度入会したらどうかというと、もう締
切で駄目だという。そのとき、事務所にいた人
が「それほど御熱心なら、黒田会長の泊ってい
る宿の前の事務所へ行け」というので、そこヘ
行くと、そこにいた人が「とにかく、明日、会場
の入口まで来なさい」というのでどうなるかと案
じながらも、翌日出かけていくと「昨日の豊橋
の長坂さんですね」と案内の人に呼びかけら
れ、舞台の正面に座らせられました。
 そして座ぶとん、茶、火鉢などが次々に出さ
るのに驚きました。
 たいへんな席へ案内されたものだと思ってい
るうちに、そこへ案内されたのは山県有朋、東
本願寺法主などです。そのうちに夫妻の客が
やってきました。鴻池善右工門夫妻でした。
私は、どういうことかと思っているうちに能が始
りました。
 そして弁当などがひろげられ始めましたが、
鴻池夫妻の弁当箱だけは、私ははじめて見る
立派なもので、許されたら手にとってみたいほ
どのものでした。
 やがて宝生流の先代家元九郎先生の「熊
野」がはじまりました。ワキは室生金五郎でし
たが「これは平宗盛なり」と名乗を舞台であげ
ているおり出を待っていた先代宝生九郎先生
はかげでこの名乗りを聞いていながら「どうし
たら、このワキに応じるように謡うことができる
だろうか」と洩らしていたということを後で聞き
ました。
 名人というものは、恐ろしいまでに名人の芸
を知り舞台を待つ間も心の休みのないというこ
とを知りました。
 この熊野の舞台で熊野が「のうのう、にわか
に村雨のして花を散らし候はいかに……」と宗
盛に言う文句があり、宗盛が「……げに、げ
に……」といったとたんに、まことに不思議にも
村雨がざあッとふってきました。土間はむしろも
敷いて見物をしていただけに、わあツと飛び立
ちました。あとで新聞や雑誌が「天も宝生九郎
の至芸に感激して村雨を降らせたのであろう」
と評していました。
 そのおり、ござにいた人々の折詰を一寸、拝
見したんですが、二重で、大きな重の折詰に三
品ほどが品よく盛られていました。豊太閤の記
念能ですから豊国酒という酒が一本つけてあ
りました。
 その日京都の折のつくり方に感心して、豊橋
へもどってそれを真似させてつくらせてみました
が、どうしても、京の折の味はでませんでした。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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