2016年11月29日
「昔はなし」その139 鉄道開通のころ
鉄道開通のころ
東海道の開通式が行われたとき、名古屋の
秋琴楼の表には鉄道をかたどった大きなアー
チがつくられ、名古屋人を驚かせました。東京
の名妓連に名古屋の名妓それに京都大阪の
名妓も加えて賑やかなうちに秋琴楼へ来賓を
招きました。そのとき、料理は河文で作りまし
た。私もそのおり、料理を拝見して、さすが河
文の料理は名古屋第一と感じ、またのちのち、
大いに参考になりました。
名古屋では、当時「河文の器物で、御納屋の
料理で、魚半の接待で、八千久の値段で喰べ
たい」ということが言われていましたが面白い
評でした。
東海道の開通式が行われたとき、名古屋の
秋琴楼の表には鉄道をかたどった大きなアー
チがつくられ、名古屋人を驚かせました。東京
の名妓連に名古屋の名妓それに京都大阪の
名妓も加えて賑やかなうちに秋琴楼へ来賓を
招きました。そのとき、料理は河文で作りまし
た。私もそのおり、料理を拝見して、さすが河
文の料理は名古屋第一と感じ、またのちのち、
大いに参考になりました。
名古屋では、当時「河文の器物で、御納屋の
料理で、魚半の接待で、八千久の値段で喰べ
たい」ということが言われていましたが面白い
評でした。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし