2016年11月28日

「昔はなし」その138 百個のずり鍋

百個のずり鍋

 名古屋の話になりますが、明治の初年に吉
田録在とか、奥田正春とかいう人々が名古屋
の発展を計ったものです。当時の名古屋にあ
った鯛めし、河文、魚半、御納屋、八千久、香
雪軒などは有名な料亭でした。
 とりわけ河文は三都にも例のない料亭で、こ
こは名古屋の旧家、金持が出入をし、鯛めしは
官員(役人)が客の中心になっていました。
 やがて県庁が名古屋へできることになったと
き、官員のごひいきの鯛めしの在る場所へ県
庁が建てられるような廻り合せになってしま
い、鯛めしは移転して秋琴楼と名を改めました。
 そのころ、秋琴楼へ或る連中が大ぜいの宴
会を申込みました。主人は相手に一物あること
を感じて断ろうかと思ったんですが、断れば後
がうるさいと思って引受けてしまいました。その
宴会の注文というのが人数は百人で飯はずり
鍋だと云いました。鍋は十五、六もあればよか
ろうかと思っていると、ずり鍋は一人に一つず
つで喰べたいというのです。もちろん七輪もめ
いめいでというんです。秋琴楼主人も「ようが
んす」と意地で引受けてしまいました。そして鍋
も七輪も百ずつ用意しました。
 あとで私が出会ったとき、ずり鍋が百もあって
困っているんだが、どうにかならんかと相談が
ありました。私も、そんな沢山は困る。手あぶ
りとか、宴会用の火鉢ならばと云ふと秋琴楼
主人が格好な小火鉢が三百個程あるがといい
ました。私は三十個でよいと云って三十個だけ
譲り受けました。

同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事画像
「昔はなし」その177 豊川鉄道の開通式
「昔はなし」その163 安藤の豚会社
「昔はなし」その151 三千円で失つた機関庫
「昔はなし」その143 仙十さんの太閤ぶり
「昔はなし」その135 悟真寺の池
「昔はなし」その112 浮世絵と川せり
同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事
 「昔はなし」その312 あとがき (2017-05-26 06:00)
 「昔はなし」その311 札木の八日講の御膳所 (2017-05-25 06:00)
 「昔はなし」その310 服部長七の鋭い頭 (2017-05-24 06:00)
 「昔はなし」その309 豊沢団平の三味線 (2017-05-23 06:00)
 「昔はなし」その308 浅吉、高利以上だと嘆く (2017-05-22 06:00)
 「昔はなし」その307 皇太子の料理人の苦労 (2017-05-21 06:00)
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。