2016年11月23日
「昔はなし」その133 雲右工門の眼カ
雲右工門の眼カ
豊橋へ桃中軒雲右工門がきたとき、私は矢
崎豊橋病院長にさそわれました。私は浪花節
などはいやだと思ったが、断りきれなくて家内
とともに出かけました。
いってみると、ツンポ桟敷の後の戸まではず
されて、花道も舞台の左右も下足番のおる入
口あたりまで人でいっばいなんです。
おりよく、知人が「ここへ」と呼んでくれて、そ
の中へ割込んで聞いたんですが、美声という
か、大声というか、とにかく大したものでした。
感服して家へ戻ると、十八連隊の矢野という
大隊長が雲右工門と小学校が同窓の関係で、
すでに私の家へきておられて「今に雲がくるか
ら」という話に座敷など用意しているところへ雲
がやってきました。
玄関へ私たち夫婦が迎えに出ると雲右工門
は「奥さん、今夜はよく来ていただきましたね」
といきなり言うのです。私は、あの満員の客の
中で、客の一人々々をちゃんと見ている雲右
工門の眼力には驚きました。
桃中軒雲右工門がいかに名人であったか、
当時の新聞にこんな話がでていたのを記憶し
ています。それは、雲右工門が亡くなったおり、
多くの人が焼場へしのびこんで、骨や脳味噌を
盗みにいったというのです。まさかと思います
が、それほどに、人々から歓迎されていたのです。
豊橋へ桃中軒雲右工門がきたとき、私は矢
崎豊橋病院長にさそわれました。私は浪花節
などはいやだと思ったが、断りきれなくて家内
とともに出かけました。
いってみると、ツンポ桟敷の後の戸まではず
されて、花道も舞台の左右も下足番のおる入
口あたりまで人でいっばいなんです。
おりよく、知人が「ここへ」と呼んでくれて、そ
の中へ割込んで聞いたんですが、美声という
か、大声というか、とにかく大したものでした。
感服して家へ戻ると、十八連隊の矢野という
大隊長が雲右工門と小学校が同窓の関係で、
すでに私の家へきておられて「今に雲がくるか
ら」という話に座敷など用意しているところへ雲
がやってきました。
玄関へ私たち夫婦が迎えに出ると雲右工門
は「奥さん、今夜はよく来ていただきましたね」
といきなり言うのです。私は、あの満員の客の
中で、客の一人々々をちゃんと見ている雲右
工門の眼力には驚きました。
桃中軒雲右工門がいかに名人であったか、
当時の新聞にこんな話がでていたのを記憶し
ています。それは、雲右工門が亡くなったおり、
多くの人が焼場へしのびこんで、骨や脳味噌を
盗みにいったというのです。まさかと思います
が、それほどに、人々から歓迎されていたのです。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし