2016年11月22日
「昔はなし」その132 雲右工門と南部坂
雲右工門と南部坂
当時、浪曲家として京山小円とか吉田奈良丸
とかいう名人がいましたが、桃中軒雲右工円
の真似だけは誰にもできませなんだ。それだ
け、彼がまた一段も二段も上位の名人だった
と思うのです。
雲右工門は舞台へ出ると、満場を三分間くら
い、じっと客席をにらんでいましてから語り出し
ました。この二、三分間の長いこと、その間に
聴衆は完全に雲右工門にのまれてしまうわけ
です。
雲右工門は、舞台へ出る直前一時間くらい、
ぐつすり寝ることにしていたようです。起され
て、それから舞台に出ると声の調子がよいとい
っていました。
私は南部坂を聞きました。「納戸らしゃの長が
っぱ、二段はじきの渋蛇の目、妻がけなした高
足駄…」と今もその枕言葉をおぼえています
が、それを歌いだすと満場はシーンとしてしま
います。あとさきになりましたが、雲右工門が
舞台に出るときは書生が紋付、袴で目八分に
して湯をもって出てきます。そういう演出方法
がじつに尊厳をきわめていて、雲右工門らしい
やりかただったと思います。
ウィキペディアより桃中軒雲右工円
当時、浪曲家として京山小円とか吉田奈良丸
とかいう名人がいましたが、桃中軒雲右工円
の真似だけは誰にもできませなんだ。それだ
け、彼がまた一段も二段も上位の名人だった
と思うのです。
雲右工門は舞台へ出ると、満場を三分間くら
い、じっと客席をにらんでいましてから語り出し
ました。この二、三分間の長いこと、その間に
聴衆は完全に雲右工門にのまれてしまうわけ
です。
雲右工門は、舞台へ出る直前一時間くらい、
ぐつすり寝ることにしていたようです。起され
て、それから舞台に出ると声の調子がよいとい
っていました。
私は南部坂を聞きました。「納戸らしゃの長が
っぱ、二段はじきの渋蛇の目、妻がけなした高
足駄…」と今もその枕言葉をおぼえています
が、それを歌いだすと満場はシーンとしてしま
います。あとさきになりましたが、雲右工門が
舞台に出るときは書生が紋付、袴で目八分に
して湯をもって出てきます。そういう演出方法
がじつに尊厳をきわめていて、雲右工門らしい
やりかただったと思います。
ウィキペディアより桃中軒雲右工円
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし