2016年11月16日

「昔はなし」その126 先々代と弘文堂

先々代と弘文堂

 魚町の弘文堂の先々代は筆をつくることが巧
みでした。しかも太筆の製作が得意で、私はこ
の人にたのんで太い筆を作ってもらって用いて
いました。
 先代は小筆の方が得意でした。私は素入な
ので、筆の講釈はできませんが、よい筆は新し
いうちは使いにくいもので、四、五回使ってい
るうちに使いよくなるものです。専門家もそう申
しています。昔の弘文堂では先々代も先代も、
そういう、筆をつくってくれました。
 弘文堂から昔は弘文堂という墨が売出されま
した。先々代のころです。私もそれを使いまし
た。ところが「ねばり」が強くて書きにくいので
す。そのことで店へ行って話していると、先々
代が出てきて「濃いために筆の走りが悪けれ
ば水でうすめるんだね」というんです。
 私が「それでは墨色が薄くなる」と申しました
ら「書家は濃い墨色を喜ぶが、ほんとうの味
は、淡い墨色でないと味が出ないではないか
ね」と申しました。なるほどと思いましたね。
代々の大徳寺方丈の筆蹟は俗を超脱し墨痕
の濃淡にこだわらないものがありました。
また弘文堂の先々代は小華先生のために特
に先生の好みに応じた筆をつくり小華用筆と
貼紙を付けていました。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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