2016年11月15日

「昔はなし」その125 西川由次と金玉均

西川由次と金玉均

 渡辺章連隊長のころ大隊区司令官の波多野
という人が朝鮮の金玉均をよく知っていて金玉
均が亡命して日本へ来ていたとき、豊橋へ招き
ました。その席へ渡辺も同席していました。
 金は小柄な人でしたが沈着そのものでした。
通訳は日本に長くいる人で、日本語は巧みで
した。その席で渡辺が酒の興にのって川中島
の詩を吟じ、苦節十年一剣を磨くの詩句を通
訳を通じて聞いた金玉均の表情はなんとも言
えぬ感慨ふかいものがありました。
 革命家金玉均は、やがて、ひそかに朝鮮へ
戻りましたが、上陸したとたんに暗殺されまし
た。金玉均が豊橋へきたとき、東田郵便局長
の西川喜代三郎の父君の由次は金と心やす
かったので、金玉均のために、かげながら、西
川は何かと応援していました。金玉均の文字
が今も西川の家には残されていると思います。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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