2016年11月13日

「昔はなし」その123 清水から出た狂言師

清水から出た狂言師

 昔は魚町の清水から色々な人物を出し、風
呂屋、かまぼこ、ちくわ、うなぎ、寿司すべて清
水から生れました。床屋も豊橋では清水がはじ
めでした。赤えいの魚田(ぎょでん)油揚げと豆
ふなども清水から始り、何もかも清水から生れ
たわけで清水というところは豊橋の発展になか
なか大きな役割を演じていました。
 清水から出た狂言師の森京之進は名人とも
言うベき人でした。つづいて加納屋の鳥居猪平
も狂言師としては名人で、この二人は豊橋から
どこへ出しても名人として通る人でした。鳥居
は加納屋の先々代です。京之進の娘のふきは
私と学校が同窓でした。京之進のあとに猪平
が出て、猪平の息子に喜楽が出ました。それ
から魚町の鈴木彦兵衛、曲尺手の仕出し屋の
本多師、魚町の夏目半平、呉服町の牧野新三
九などが狂言師としては名手でした。
 小つづみは下町の藤井治兵衛が近県に鳴り
ひびいていました、また藤井ほどではなかった
が本町の石田布二蔵も小つづみとしてはなか
なかの技倆でした。
 士族では家老だった和田稲城、同様士族の
安松八郎なども相当にやれた人々でした。
 昔の清水の土建の井口の先々代がいて、こ
の人は鳶(とび)の親方でした。当時でもなか
なかの有力者でした。魚町で豊橋にはじめて
の消防ができたとき、この井口と魚町の現兼
が指揮をいたしました。消防組として魚町は
勢力があり、あとから生れた他町内の消防組
をひっぱっていく勢力をもっていました。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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