2016年11月11日

「昔はなし」その121 小久保彦十郎と能

小久保彦十郎と能

 小久保彦十郎が弘前へ行かない前に、能舞
台をつくりたいといって、私の家で能楽を二
番、狂言を二番ほど演じて、寄附金を願いたい
人を招いて見せたことがあります。もちろん魚
町の能舞台のなかった時代です。
 そのために何ほどかの寄附金が集りました。
その寄附金帳も私が持っていたんですが、今
は何処かヘ行ってしまって惜しいことをしました。
 寄附金が集ると、大手通りの深井清華邸の
裏にあった蓮池を埋めて、そこへ能舞台をつく
りました。小久保が道成寺をやりました。私も
出演しました。名古屋からも人を呼んで二日間
ほど演能を催しました。その能舞台で、あと一
回ほど催しを行いましたが維持ができなくて、
駅前の大野銀行が建ったところへ移しました。
そこでも一回だけ演能しました。私も出ました。
三浦碧水などが先に立ってできたのですが風
雨とともに舞台は自然にこわれてしまいまし
た。その深井邸の舞台以来、催能のあるたび
に大口喜六、上浜清一、斎藤純太郎、その他、
旧士族連の同好者多数と私も必ず出勤しました。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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