2016年11月10日

「昔はなし」その120 能舞台の地つき

能舞台の地つき

 魚町で能舞台を新築することになったときは
私も地つきの手伝いに参りました。当時は魚町
の名のはいったハッピを着ていると何処へいっ
ても派ぶりが効いたものです。魚町のそろいの
ハッピの中で私だけが札木のハッピを着て地
つきに参加しました。私だけは特別に許され
た。名誉という意味だったのです。私のこの名
誉は当時は大評判でした。
 その舞台も今はなく、なんとなく淋しい思い
がします。


同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事画像
「昔はなし」その177 豊川鉄道の開通式
「昔はなし」その163 安藤の豚会社
「昔はなし」その151 三千円で失つた機関庫
「昔はなし」その143 仙十さんの太閤ぶり
「昔はなし」その135 悟真寺の池
「昔はなし」その112 浮世絵と川せり
同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事
 「昔はなし」その312 あとがき (2017-05-26 06:00)
 「昔はなし」その311 札木の八日講の御膳所 (2017-05-25 06:00)
 「昔はなし」その310 服部長七の鋭い頭 (2017-05-24 06:00)
 「昔はなし」その309 豊沢団平の三味線 (2017-05-23 06:00)
 「昔はなし」その308 浅吉、高利以上だと嘆く (2017-05-22 06:00)
 「昔はなし」その307 皇太子の料理人の苦労 (2017-05-21 06:00)
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。