2016年11月09日

「昔はなし」その119 滝崎安之助と佐藤善六

滝崎安之助と佐藤善六

 戦災で焼失した魚町能楽殿は、前は神楽殿
だったのです。その神楽殿で祭のたびに小久
保彦十郎が卒先し能楽を催しました。そのうち
に神楽殿を改築して能楽舞台にしようじゃない
かと意見が出たが、なかなか話が進行しませ
んでした。
 そのうちに小久保は都合で弘前へ移ることに
なり、あちらで製糸事業する積りで出かけたが
志とちがいリンゴ園を始めました。しかし資金
に困って豊橋へ戻り滝崎安之助、佐藤善六に
相談しました結果、能裳束を抵当に入れて銀
行から金を借りることになりました。銀行といっ
ても真利宝会という金融機関で三浦町の杉田
権次郎という人望のある人がそれを経営して
いました。
 真利宝会へ能裳束と能面を低当に入れて小
久保彦十郎が借金するとき、弘前から来た小
久保は私の家の前の小島屋旅館へ泊っていま
した。私に用があるというので行ってみると真
利宝会から借金をする貸借の証文を私に書け
という話しでした。私はそのおり能裳束、面から
いつさいの目録を私の手で書きました。滝崎安
之助、佐藤善六も同座でした。
 こうして小久保は四百円を借出して弘前へ戻
っていきました。かくて四年、五年と経ちました
が、小久保のリンゴ経営は思わしくなく一向返
済の様子もないのです。
 ある日、真利宝会から私のところへ使がき
て、一度来てくれという話です。行ってみると真
利宝会でも、頭を悩ましているらしく「利息はい
らんから元金四百円で能裳束と面を誰かに買
ってもらつてほしい」というのです。
 その話を聞いて私も金さえあれば自分で買
ってもよかったが、金はなし、といって誰が買
いとってくれるか判らない、私も考えあぐんで
芝居の貸衣裳などをやっていた新久の主人
に事をわけて話すと二百円なら買ってもよい
という話でした。
 真利宝会へ二百円ではどうかというと、どうし
ても四百円でなくては困るというので、私は数
回にわたって新久の主人に交渉しましたが、能
裳束など何の役にも立たないといって二百円
をゆずりません。
 私も弱りはてて滝崎安之助と佐藤善六の二
人に外へ売らずに魚町で買うように懸命にた
のみました。その結果二氏もそれではと先に立
ち頼母子講を作りました。これが予想外に好成
績で裳束、能面全部を買戻しただけでなく、別
に能舞台の新建設もできるようになりました。
これだけでも滝崎安之助、佐藤善六の功績は
偉大だと思います。


「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より
滝崎安之助

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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