2016年10月29日

「昔はなし」その108 柱に自分をぶつける旧藩士

柱に自分をぶつける旧藩士

 吉田藩が廃されてからも剣術はなかなか
さかんで神宮寺の境内が以前は広かったの
で、ここで度々剣術大会が催されました。当
時、近藤鶴五郎という剣術使がありまして、
神宮寺の剣術大会で、しまいには真ケン勝負
となりました。当局も大目に見て許していたわ
けです。見ている方がはらはらしました。この
真けん勝負には審判というものがないのです。
審判は不要なんです。というのは見物にも勝
負は判るし、立向っている二人にも「俺が負け
た」ということは、きわどい瞬間にわかるので
す。ですから危ない瞬間にパッとお互いに手
をひくので傷がつくという事故はほとんどあり
ませんでした。
 廃藩のあと……弓術も盛んでした。奥村閑水
などという名人がいました。石原某は弓のつる
を作るのが専門でしたが、これはまた弓にも非
凡な技を持っていました。六枚折びょうぶでか
こつて、一方へ大きなカワラケをおいて、その
中で大弓をひくのです。矢はカワラケヘ当るだ
けで、びようぶにはかすりきずもつかないとい
う妙技なんです。
 家老職をやっていた松井が郡長になって
から、宴会でもあると、必ず石原をひっぱり出
して客にその妙技を見せるのです。それといっ
しよに、松井は両肌をぬいで三尺ほどへだった
ところから自分の身体を、むちやに柱へぶつつ
けるのです。宴会の客はアッと嘆を発している
なかで松井はこれを五回やるんです。よく身体
が折れないものだと思いました。維新の頃は
宴会の宴興に変ったことをやる男がいたものです。



天宮神社ホームページより奥村閑水

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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