2016年10月28日

「昔はなし」その107 記録破りの板垣歓迎

記録破りの板垣歓迎

 自由民権の旗印も派手に板垣退助が各地に
遊説の旅をしてついに豊橋へやってきました。
 近藤寿市郎など真先に立ちあがった人でし
た。だいたい渥美の赤羽根、田原あたりからの
出身者、つづいて牛久保辺の人がとくに熱心
でした。
 板垣が豊橋へ着くころは、ちょうど夜になった
ので迎えの人々はほうづき提灯を手に手にし
て「万歳、万歳」と叫んで板垣を迎えたものでし
た。板垣は人力車の上からにっこりと笑って、
これに応えていましたが、お祭騒ぎ以上の盛
大さでした。
 行列といえば日英同盟の結ばれたときには
祝賀のカンテラ行列というのがありました。イギ
リスの宣教師を先に立たせ、しかも彼にもカン
テラを持たせて街々をねり歩きましたが、みん
なカンテラの油煙で鼻の穴が真黒になりました。
 板垣退助が豊橋へやってきた後に後藤象二
郎が大同団結を旗印にして別院で講演会をや
りましたが板垣のときほどの人気はありません
でした。 のちに大隈重信が治国平天下をスロ
ーガンに八町学校で演説をやりました。後藤象
二郎よりは人の集りもよかったが、やはり板垣
ほどのことはありませんでした。とにかく、豊橋
を訪れた政治家のうちで板垣ほどに人気もあ
り歓迎された政治家はその後に例がありません。


「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より近藤寿市郎

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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