2016年10月26日

「昔はなし」その105 聟さまの花火法帳

聟さまの花火法帳

 祇園祭の上伝馬の花火は「つな火」で町の角
から、坂下まで綱がはってあってそれへ火を点
じると、鯛の車やいろいろの人形が走っていく
のは見事でした。萱町は手筒でした。今の方は
想像しにくいでしようが、家の中で手筒を出し
たものです。笹踊りが会所から出ると家の中
で手筒を出して、その火の下をくぐって笹踊り
は外へ出ました。
 三浦町、指笠町は玉火でした。一本の竹へ玉
が十二くらいはいっていまして、これも立派な
ものでした。関屋、八町は流星というものでし
た。細長いものが長い竹の上に支えられてい
ました。その細いものに火がつくと流星がぽん
と一つの星となつて出ます。その竹は十五、六
人の若い衆がしっかりもっているんですが、火
勢が強いと若い衆の足が土から離れることが
あります。指揮者が「それツ」と号令をかける
と、若い衆はぱっと手を離すと、竹の柱をつけ
たまま、流星を吐きつつ、それは空中へ舞上
っていきます。当時、わら屋根ばかりの街でし
たが、花火で家を焼いたという話はありません
でした。
 打揚煙火など毎年個人的に新菊とか青星と
かに思い思いに定め、その時の様子を煙火法
帳に記して門外不出で何人にも秘密にしてあ
りました。見物人は花火によりあれは誰の煙
火かとすぐわかりました。昔は八ヶ町以外に婚
約はしない時代があり聟入りの時は煙火法帳
が聟の最も重要な輿人土産でした。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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