2016年10月16日

「昔はなし」その95 絹与の先々代

絹与の先々代

 今日の菓子が生まれるまでには長い歴史が
あったわけです。当時「玉あられ」というのは今
の絹与の先々代が絹徳と云ったころ、札木の
角での作品です。「玉あられ」は和さんぼんで
つくられ、サイの目くらいの大きさに切ったあと
が見えないように切った非常に技術を要するも
のでした。
 黒田侯が大杉屋だかに泊ったおり、この「玉
あられ」がお茶菓子に出ました。石粒ほどの白
い「玉あられ」の中に赤いのが三つかそこいら
まざって、紙をしいた上に盛上げられたときの
品のよさ、美しさは今も目に浮んでいます。
あとで「玉あられ」を多くの人が真似をして売出
しましたが、値がはるだけで、真似はしたもの
の、どれも失敗に帰しました。



和菓子所 絹代

同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事画像
「昔はなし」その177 豊川鉄道の開通式
「昔はなし」その163 安藤の豚会社
「昔はなし」その151 三千円で失つた機関庫
「昔はなし」その143 仙十さんの太閤ぶり
「昔はなし」その135 悟真寺の池
「昔はなし」その112 浮世絵と川せり
同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事
 「昔はなし」その312 あとがき (2017-05-26 06:00)
 「昔はなし」その311 札木の八日講の御膳所 (2017-05-25 06:00)
 「昔はなし」その310 服部長七の鋭い頭 (2017-05-24 06:00)
 「昔はなし」その309 豊沢団平の三味線 (2017-05-23 06:00)
 「昔はなし」その308 浅吉、高利以上だと嘆く (2017-05-22 06:00)
 「昔はなし」その307 皇太子の料理人の苦労 (2017-05-21 06:00)
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。