2016年10月16日
「昔はなし」その95 絹与の先々代
絹与の先々代
今日の菓子が生まれるまでには長い歴史が
あったわけです。当時「玉あられ」というのは今
の絹与の先々代が絹徳と云ったころ、札木の
角での作品です。「玉あられ」は和さんぼんで
つくられ、サイの目くらいの大きさに切ったあと
が見えないように切った非常に技術を要するも
のでした。
黒田侯が大杉屋だかに泊ったおり、この「玉
あられ」がお茶菓子に出ました。石粒ほどの白
い「玉あられ」の中に赤いのが三つかそこいら
まざって、紙をしいた上に盛上げられたときの
品のよさ、美しさは今も目に浮んでいます。
あとで「玉あられ」を多くの人が真似をして売出
しましたが、値がはるだけで、真似はしたもの
の、どれも失敗に帰しました。
和菓子所 絹代
今日の菓子が生まれるまでには長い歴史が
あったわけです。当時「玉あられ」というのは今
の絹与の先々代が絹徳と云ったころ、札木の
角での作品です。「玉あられ」は和さんぼんで
つくられ、サイの目くらいの大きさに切ったあと
が見えないように切った非常に技術を要するも
のでした。
黒田侯が大杉屋だかに泊ったおり、この「玉
あられ」がお茶菓子に出ました。石粒ほどの白
い「玉あられ」の中に赤いのが三つかそこいら
まざって、紙をしいた上に盛上げられたときの
品のよさ、美しさは今も目に浮んでいます。
あとで「玉あられ」を多くの人が真似をして売出
しましたが、値がはるだけで、真似はしたもの
の、どれも失敗に帰しました。
和菓子所 絹代
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし