2016年10月15日

「昔はなし」その94 ゆがんでしまつた

ゆがんでしまつた

 明治十九年頃でしたかね、神武天皇の御銅
像の東の方へ将校集会所ができ、その会所び
らきに能楽を催したことがあります。それから
三年ほど経つて、朝倉川を下に見るところへ将
校集会所が移りました。そこへ名古屋辺からコ
ックがきました。甚(じん)と呼んでいました。
 このコックが宴会でもあると料理をつくるので
すが、ふだんは三人の大隊長の家を順ぐれに
回っていました。
 甚は大したコックではなかったが、ほかに人
が得られなかったようです。甚は洋食コックで
すが、将校も洋食党ばかりではないので「お
い、たまには日本料理を喰わせろ」と注文が
でました。ところが甚は日本料理はてんでわ
からないのでどうしたものだろうかと頭をひね
った末に大根、イモ、にんじん、ネギ、ごぼう、
牛肉をきざんで、これを大鍋でぐつぐつ煮たん
ですが、それを盛るお椀がありません、「すみ
ませんが、お椀を借して下さい」と私の家へき
ましたので、注文して届いたばかりの「うるし
ぬき」もすんでいない新しいお椀を貸してやり
ました。それが返って来たのを見ると、お椀が
みんないびつになっているのには、こちらも驚
きました。つまり、新らしいのに熱いごった煮
を盛ったのでこんなことになってしまったので
す。「困ったことをした、借せるじゃなかった」
と言ってみたところが後の祭りでした。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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