2016年10月14日
「昔はなし」その93 洋食の最初の客
洋食の最初の客
洋食を私のところへ初めて喰べにきてくれた
のは名古屋の百三十四銀行の豊橋支店長と
もう一人の人でした。
コックは頼んだものの日本料理と調理室が同
じですから、洋食の油が日本料理へ飛びこん
でくるので日本料理のコックはブツブツ言いま
す。また洋食のコツクはコツクでなかなか小言
も出ます。こんなことから洋食とは別れました。
そのうちに十八連隊もできました。何かの会
合で、料理のなかへ洋食を一品まぜて出した
ところが連隊長から「お前のところは日本料理
の店ぢゃないか」ときつく叱られまして、やっぱ
り洋食には手を出さん方がよいということにな
りました。
豊橋で専門の洋食店ができたのは明治二十
五、六年でしょうか。行楽亭という店が、東八町
の方へできました。客も場所だけに余りなく、味
もたいしたことはありませんでした。行楽亭が
あとで板新道ヘ出てきたあとで、「うの丸」の先
代が札木の新道通の本陣のあとを借りて、は
じめたが一年くらいでやめてしまいました。そ
れから札木に偕楽亭ができました。
こうして豊橋の洋食も今日の盛大を迎えたわ
けですし、また洋食というものが、今日のように
一般に普及するようになったのです。
洋食を私のところへ初めて喰べにきてくれた
のは名古屋の百三十四銀行の豊橋支店長と
もう一人の人でした。
コックは頼んだものの日本料理と調理室が同
じですから、洋食の油が日本料理へ飛びこん
でくるので日本料理のコックはブツブツ言いま
す。また洋食のコツクはコツクでなかなか小言
も出ます。こんなことから洋食とは別れました。
そのうちに十八連隊もできました。何かの会
合で、料理のなかへ洋食を一品まぜて出した
ところが連隊長から「お前のところは日本料理
の店ぢゃないか」ときつく叱られまして、やっぱ
り洋食には手を出さん方がよいということにな
りました。
豊橋で専門の洋食店ができたのは明治二十
五、六年でしょうか。行楽亭という店が、東八町
の方へできました。客も場所だけに余りなく、味
もたいしたことはありませんでした。行楽亭が
あとで板新道ヘ出てきたあとで、「うの丸」の先
代が札木の新道通の本陣のあとを借りて、は
じめたが一年くらいでやめてしまいました。そ
れから札木に偕楽亭ができました。
こうして豊橋の洋食も今日の盛大を迎えたわ
けですし、また洋食というものが、今日のように
一般に普及するようになったのです。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし