2016年10月13日

「昔はなし」その92 はじめて洋食をやる

はじめて洋食をやる

 まだ洋食というものがない時代にチョクチョク
来られる方のなかで「もう、時代は新しいのだ
から千歳楼でも洋食をやらんといかん、さらい
年は陸軍(十八連隊)も来るというじやないか」
なんて、私どもの尻をたたく方もありました。
 私も、おりをみて「洋食の方もやってみましよ
うか」と親爺に言ってみるものの親爺はなかな
か首をタテにふってくれません。そのうちに親
爺も「それなら…」ということで一歩ゆずって承
知しました。当時、洋食皿、スプーン、フォーク
などの道具類が、まだ名古屋にも売ってないこ
ろで、東京から二ダースづつをとりよせました。
 座敷も洋食を喰う場所らしい感じを出さねば
ということで一間だけを改造し、天井に唐紙の
紙をはるという妙な工夫をこらしました。座敷の
改造とともにテーブルもつくりました。テーブル
には長尾華陽、長尾清江、深井清華、大河内
晩翠などに依頼して四君子の絵を描いてもら
いました。また西洋料理では客は喰わないか
らと衛生料理とせよなんて注告も出て「衛生料
理」の看板を表へ出したりしました。
 ところが、洋食をやれやれと勧めた連中は一
ぺんも喰べに来ないのです。無責任なことで
す。そして洋食の客というのが月に一人か二
人…これでは商売になりませんでした。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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