2016年10月11日

「昔はなし」その90 寿司を売る婆さま

寿司を売る婆さま

  清水町から「ちくわ」「うなぎ」「寿司」などを持
って出て豊橋の町々を売りあるく婆さんがいま
した。うなぎは細目のもので「どじょう」を開いた
くらいのもので、五つきれ位が串にささってい
ました。安くて味がよいので、どこの家でも、そ
の婆さんの来るのを待っていたものです。その
呼声が面白くて、
  「寿司ホーイ寿司ホイ、しぐれの寿司ホイ、
  のりのオ寿司ホイ、ちくわや、ちくわや、
  大ちくわの焼たてホイ、うなぎヤア、
  うなぎ、大うなぎの焼たてホイ」
 その頃、ちくわが一銭、うなぎが二銭くらいで
した。もっとも、この二銭の串うなぎは、そのこ
ろとしてはぜいたくなもので、お祭などに「今日
はうなぎでも買ってやろうか」と両親に言われ
たことを覚えています。明治七年頃のことです。
 また遠藤安太郎の想い出ですが、関屋河岸
に彼が豊橋ホテルを作ったとき、支配人の人
選に困ったようです。理想の人がないので、
遠藤の二号で豆八という芸者を支配人に据え
まLた。 この豆八は遠藤にとっては「あばたも
えくぼ」で、どうみても芸者らしくない女性で、
どこが遠藤に好かれているのかというようなき
りょうでした。
 どちらかというと乳母みたいな感じの豆八が
帳場に座ってみたが、どうもうまくいきませんで
した。それで更科という男にやらせて、遠藤が
細かなことまで指図していたが、これもやめて
しまい、最後に遠藤の弟の猶次郎を支配人に
してみたが、これもやめてしまいまして、つい
豊橋ホテルは終末となってしまいました。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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