2016年10月09日

「昔はなし」その88 能へ石を投げる

能へ石を投げる

 あるとき魚町で能をすることになりました。大
口喜六さんにも一番やってもらいたいと、竹内
市蔵と私が大口さんのところへ頼みにいきまし
た。私も竹内も出勤しますからと云ってたのみ
ました。
 ところが翌日、竹内がやってきて「たいへん
だ」と言うので聞くと「大口が能に出たら石を投
げてやると現兼が言っている」というのです。
私が「そんな馬鹿なことはできることでない」と
否定すると「いや、やりかねない男だ。大口に
も話せないし、困ったことだ」というので私も、
心ひそかに一大事と工夫をこらすことになり
ました。
 当日、私は弁当を二つつくらせて出かけて楽
屋ヘ現兼を呼びました。そして「じつは弁当を
二つ持ってきてしまったが、一つ君もこれを食
べてくれないか、一緒に食べよう」というと現兼
は「そりゃ有難い、しかし、自分は家へ持って
帰って食う」といいはるのです。そうされては困
るので「まあ、そう言わずと…」と私はむりに、
弁当を開かせました。
 その間に大口さんの舞台は始ったのですが、
弁当は、じきに喰べ終ってしまいますから、何
とか、かんとか言って、楽屋へ現兼をひきとめ
るのに骨がおれました。
 現兼は、とうとう大口さんの舞台へ石を投げ
つけることは失敗に終りましたが、内心いまい
ましいと思っていたことでしょう 。能も日暮に
さしかかったので竹内がやってきて「舞台へ早
く灯をいれてくれ」と言いました。ところが灯を
いれる段になって現兼は「よしよし」と言うだけ
で、いっこう灯をつけません。とうとう薄暗いま
まで能を終ったことがあります。あとで「現兼も
石の代りに灯なしで仇を討った」と笑い話でこ
のことはすみました。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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